昭和7年7月15日、本通りと金座街を結ぶ堀川町に「福屋10銭ストア」が開店。日用雑貨や食料品を中心に低価格商品を並べ、大きな人気を博しましたが、物価上昇や低価格商品の仕入れが困難になったことなどから昭和12年に閉店しました。
昭和10年4月1日、福屋呉店が開店しました。当時の呉は、東洋一といわれた軍港と海軍工廠を持ち大きく発展。人口も23万人にまで膨らんでいました。同年11月には呉線が全線開通。これらにより呉店もたいへんな賑わいを呼びました。
福屋新館の開店を告知するポスターには、当時の人気女優・高杉早苗さんをモデルに起用。こうした華やかな宣伝もあって、オープン時には店内・店外とも多くのお客様でにぎわいました。
昭和13年3月、1年10か月の工期を費やして“皆様の福屋”が現在地である八丁堀に完成しました。“白亜の殿堂”と親しまれ、ひときわ目を引いた福屋新館は、地下2階、地上8階の堂々たる建物でした。
昭和20年8月6日午前8時15分。一発の新型爆弾が広島市上空で炸裂、広島の街は一瞬で壊滅しました。原子爆弾の惨禍に見舞われた広島にあって福屋新館(写真後方)と旧館(その手前)はかろうじてその姿の一部をとどめました。
被爆1か月後。右上建物は広島商工会議所。左上右は広島銀行本店、左は住友銀行、中央が元・広島県産業奨励館(原爆ドーム)、手前の建物は当時の商工中金ビル。
被爆後、昭和21年2月には1階部分だけを整えて営業を再開した福屋。その後、順次各階の復旧を進め、25年10月には1階・2階に売場が拡張、26年7月には4階の復旧工事が終わり、中元体制が整いました。さらに、同年10月に5階が復旧したことで戦前の売場面積を回復。そして、ついに29年12月、そのほかの階の工事も完了し、福屋は全館復旧を遂げました。